原始仏教講座 第四講 その二十三

第四講 その二十三

 次は大慈悲です。今までの話は全部原始仏教です。ここからは、後で出来た仏教です。原始仏教ではありません。たとえブッダとわれなるに、あらゆる衆生まごころで、信じ楽しみ、わが国に、往生せんとよく念じ、達し得ざれば正覚せず。たゞし五逆の罪おかし、正法そしる者のぞく。となっておりますが、これはいわゆる真宗、浄土真宗の阿弥陀仏という仏様がみんなを自分の所にお浄土に救いとってやるという、その願を持たれたということで、浄土真宗は成り立ち、そういう導きがなされているわけですが、その根拠となる所のお経の一節です。
 大無量寿経というお経の18番目にある、18願とされているものです。これは日本の浄土真宗では、阿弥陀さまがお浄土にいて皆を救いとると、それではどうしたら皆行かれるかと、それは自分の努力、こちら側私達の努力によって行かれるのではない。阿弥陀様が救いとると、そうしようと願われたと、願われたからその阿弥陀様が救うぞという願いを信じさえすれば、私達はお浄土に行けるという話になっております。
 しかしお経にはどういう風に、この文句はこうなんですが、この文句が出てくる後先があるわけです。それを話しますと、ややこしくなるというか永くなりますから、略しますが、このお経、大無量寿経というお経は、自分だけが悟ったんではいけないと、人々を、自分が悟ったように人々も悟らせる宗教活動をせねばならないという次元でお経が作られておるわけです。