原始仏教講座 第四講 その二十

第四講 その二十

 話は分ったが、それではそれを体験しなければならない、体験するためにはある程度の修道、修行しなければならない。しかし時間もお金も無いから、とても出来ません、というと話だけで終る。だから感情的には、あい変らず、話はそうだけど矢張り私は死にたくないです、ということになるわけで、感情的には相変わらず不安定であるというわけです。
 それでそれがいやなら、感情的にまで安定したいなら、今度は真理の話を体験するまでの修道、修行をしなさい、そうすれば感情がその理性に一致するようになる。人間は死ぬ存在である、だから死んでもいいも悪いもないと、感情的には死ぬ存在であるから死ぬんである、ということになるわけです。
 感情がもう問題でなくなる、すなわち感情が安定するわけです。一応話としてですが、感情的に安定するでしょう。その感情的安定を心解脱というわけです。心、こころ、心の面で安定するわけです。慧解脱というのは理性の面で安定するわけです。行き着くわけです。それから心解脱というのは、心、感情の面において行き着くわけです。
この理性と感情、両方が解脱する、苦しみから抜け出す状態を倶解脱という、ともに解脱する、理性と感情がともに解脱する、それが本当のニバーナ、解脱、悟り、理性においても分った、感情的にも、もうそれに成り切った、だから安定したというわけですね、これがニバーナです。そういうのが苦しみが滅した状態です。それを目標とするわけです。目標というか目的とするわけです。