高度な宗教

 「高度な宗教」
 仏教の一切性
 地面の底から沢山のボサツ(在家仏教者)が湧き出たとか、三途の川で、お地蔵さま待ち受けていて人々を救って下さる−といった経典の話が、この日本では満ち満ちている。それはそれなりに宗教性があり、善男善女を育ててきた。道路わきのお地蔵さまが目に入れば、自転車に乗ったままではあるが、私は必らず一礼する。もっとも私の場合は、教会でも神社でも、お墓でも葬式でも、多少宗教的なもの、霊的なものはすべて一礼して通る様にしている。
 それらはそれなりに、いわれ、意味があるからだ。お寺を見ても僧侶を見ても同じく一礼する。時々衣を着てきちんとしたお坊さんが、タバコを吸いながら行かれるのには一寸ためらう。お経を上げて、その家を出て、ヤレヤレの思いで吸っておられるのだろうと、推察する。そうした場合、衣そのものに一礼をする。
 こうした事を云えば、それでは、何でも有難がりの、無節操、無原理の信仰ではないかと、批判されるかも知れない。
 この「三宝」を通していくらかでも釈尊にふれられた方は、仏教が「縁起」(空とか本願とか、即身成仏とかも同じ)という原理を中心にするものであるIという事をお分かり頂けたと思う。一切が縁起する(縁・条件の影響を受けて変化する事)という観点からすれば、すべてが「いわれ=理由」があっての事。一応の尊重をせねばならなくなる。「敬して信ぜず」という名言もある。仏教に見られる寛容性は、一切の中にそれ相当の理由、ひいては存在価値を見出す、という発想から自然にそうなる、のかも知れない。
 女性の宗教力
 娘であったビサーカーが法を聞いて、信者になり、嫁いでは一族にご縁を結ばせる、これは何と素晴らしい事であろうか。これはまさに正導である。もし仏教が習慣儀礼的なものであったならば、嫁にいった先の習慣儀礼を変えさせる事は不可能なはずである。特に男系家族においては難しい。
 ではどうして一家の信仰(宗教)を変えさせる事が出来たのであろうか。それは「真理・法を理解する」という事を中心にしているからである。「一切は関わり合って存在し−変化しながら−お互いに役立ってゆく」この真理はいわば小学生でも分る理論である。ところが、日本では深淵な哲学のように説かれるから、とても理解など出来ないもの−とされてきた。従って「すべておまかせ」で信じなさい、という方式が一般化されている。その為か、当方にこられる方は、お観音さまは実在するのか、お地蔵さまはどういう役目なのか、先祖供養とはどういうものかーとか、品定めの話で時間をとってしまい、一体仏教とは何か、という所になかなかゆきつかない。
 法が理解出来る、という事は大変な喜びである。ある高名(明ではない)な宗教家が、病気一つ直しきれないで何の仏教か−と著書にも書き、せっせと病気直しをやっておられるが、病気が直ろうが、直るまいが、法が分る喜びは、それらと較べようがない喜びである。少々極端に云えば、病気直しを目的にしての信仰では、直らない時には、あわれに死んでゆく。法が分る式では、死を迎える準備が出来る。日本ではガン患者に病名を告げる事を禁じる。何しろ、日本仏教が機能していないから、死の心構えをさせる方法が無い。
 曰本の経済発展は無宗教性から、何にでも飛びつく−という所からきているらしいが、お金ではどうにもならない世界がある、という事を考えようともしない。少年少女の問題が起きると、学校制度をどうしょうか、などとまことにお粗末な考えしか出来ない。
 明治以降、宗教をないがしろにしてきた、そのツケがはっきりと、形をなして現われてきているのである。一億総ザンゲなどという迷名句がはやったが、今こそ、宗教を軽ろんじてきた事への総ザンゲをすべき時と云わざるを得ない。
 今日本では、男女同権を女性が叫び、男性は顔をしかめている−という所。ところが、二千五百年前に、法縁にふれた女性が、男性主流の家族を導き、さらに四百室もある精舎(宿泊道場)を建立したのである。それは男女性差意識を超えた、人間の価値尊重があったからとしか考えられない。男女がそれぞれ、一個の人間として尊重される所に、真の人間社会が出現する。女人禁制などと妙に張り切っていた日本も、ようやく伝説のたぐいになろうとしている。
 習慣や道徳はその時代を調整する働きをする。それは大いに必要である。しかしその背景というか、根底に、時代や社会を超えた、あらゆる時代、あらゆる地域に通用する宗教が無ければならない。
 また宗教自体が、その本質と実体とをもって、その普遍性を証明しなければならない。ところが現実に宗教らしきものが、一般から嫌われ、警戒されるのは何故か。それは明快な、普遍妥当のある真理を中心にせず、その特殊性、高級性のみを強調するからではなかろうか。男女を超え、時代、習慣を超え、その人間性に目覚める様な宗教であれば、そこには真の共通共感意識が生まれる。そこから始めてこそ、世界平和の可能性も出てくる。その根底には、女性の慈愛心というものがあるべきではなかろうか。
 異教からの改宗
 釈尊の当時は宗教の花盛りの時代であった。千年以上も前からの伝統的な宗教は創造神を中心にしたバラモン(現在のインド教のもと)教が大勢としては主流であるが、その神職者たちが修行も指導も行わず、形式のみになっていた。当然そこに批判が興り、さまざまの自由出家指導者が現われる。釈尊もその中の一人の宗教者として登場してくる。従って釈尊は決して超越、超人ではない。
 現在でもそうであるが、インド人は霊的関心が並み外れて強い。それが神秘思想を生み出すもとになる。暑熱の風土に居れば、清涼な霊地と永遠性をあこがれるのはまさに必然である。こうした宗教土壌に対して、生きている現実の人間において、現実に自己の問題意識を解決する道(悟る)を求められたのは何故であろうか。
 それは極端な貧しさからくる無知、あるいは権力者としてのごう慢さからくる無知−これらを持たない、豊かな知性が釈尊の心の中に一杯に広がっていたからに違いない。それが、超越幻想と逆方向の、現実直視とその解明に向わせたと考えられる。そしてそれは、経済的に豊かな人々の知性を実らせる時代環境でもあった。
 それは論理にも詳しい女性出家者や、男性を論理的に導く女性信者がしばしば、アゴン経に登場する事で分る。かっての日本でも、女性が豊かな知性を発揮していた時代があった。中世以降は、ただただ良妻賢母が強調され、人間としての女性は埋没させられてきた。
 今曰この頃、女性が男性と対等語をいくらか使う様になってきた。多くの男性はそれに違和感を感じてはいるか、それも中年までの事。女性が真に解放され、対等化するという事は「対等知」を持つ様になるという事である。それと同時に女性らしさも望まれるのだから、日本女性は大変だ。しかし親愛なるかの女らは近い中にその両方をマスターするに違いない。その事を釈尊の仏教は大いに手伝うはず。
 さて異教からの改宗であるが、なぜ簡単に出来たのであろうか。それは従来の信仰がすでに生活習慣みたいに形式化して、真の精神指導力を失っているという事。それは同時に禁制力も持たない事。さらに目覚めかけている人間にとっては知性が満足されねばならないという事。貧と病からくるご利益志向がない事。さらには霊的志向が強すぎない事。その宗教原理が複雑哲学になりすぎない事。又あまり激しい社会動乱がないという環境。
 さらによき実践者(言行一致)とよき指導者がそろっている、という事実があるという事が必要不可欠である。以上の様な条件は、釈尊の仏教から逆算して考えられる事柄である。これは今日の寺院仏教の現状、新興教団の在り方を考える要点でもある。
 平易なる原理―よき指導者―よき実践者。この三者が→三宝
ブッダとダンマとサンガ(理想者・真理・仲間)この三つの宝によって成り立つのが釈尊の仏教である。この三つを一つにしぼりすぎると、大衆は理解し得ず、盲信するより外はなくなる。今日はこの盲信をなし得ない時代となってきている。つまり釈尊の時代と非常に似てきているのである。つまり私の様なささいな凡なる者でも、直参?が可能な時代、何と有難い世の中にめぐり合わせて頂いている事であろうか。今や日本でも、形は従前通りの信仰様式とし、実質的に本物の宗教(本当の価値ある生き方)を求める人が多くなっ てきている。実質的改宗がどんどん行われている。まことにめでたい事である。いかなる宗派も実質真価をもって大衆に面しなければならないという、本物宗教の時代になりつつあるのだから。

三宝 第123号 1984年1月8日刊 田辺聖恵