影の行列と目に刺さる星々  辺見庸

 たそがれどきだった。ビル四階の割れた窓ごしに、友人はおそろしくゆっくりとした行列を見た。影法師の行進。そう錯覚した。徒刑囚のように疲れきった人たちの細長い群れが、一面の瓦礫の原を、海側から山側に歩くというより、よろよろとさまよってくるのだった。夕焼けが人びとの背に炎(ほむら)になって燃えあがっていた。カラスが何十羽も頭上を舞っていた。港の方角からも人びとは一人また一人と、地からわくように出てきた。足音はなかった。色がなかった。声も聞こえなかったという。「あのような人びとをかつて見たことがない」。石巻の老いた友人はつぶやき、そして、語弊はあるけれども原爆投下後の絵なら似たような風景があったな、とつけくわえた。割れた窓に縁どられた黒い人の列は、額装された絵画のように友人の脳裡に記憶されている。声を落とした。「大震災は過去なのだが、あの影の列は、なぜか未来の絵に思えてしかたがない」
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 影の列は三月十一日当日に生じたのではない。五日も六日もたってからのことである。地震と大津波に遭いながら奇しくも生きのこった人びとは、瓦礫の空隙に身をひそめ、水が引きはじめるのを待って、様変わりした世界にはいでてきたのだった。あちこちに水たまりがあり、ふくらんだ人や犬や猫の死骸が浮いていた。影たちはそこを漕いできたものだから、からだに藻やヘドロがからまりついていた。やがて陽が落ちて、影たちは闇にのまれた。すると闇の奥から、声紋のくずれたような訴えともうめきともつかない音が風に乗って聞こえてきた。「ミズクダサーイ。ミズナイデスカアー」。声は力なく、風にとぎれた。「ミズクダサーイ。ミズナイデスカアー」われにかえった友人が闇を漕いでいって手探りで、わずかばかりの水をわたそうとすると、たちまち十数本もの手が闇のなかからのびてきて無言で水をうばいあった。
 「どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない」。友人は「羅生門」(芥川龍之介)のくだりをひとりごち、首を横にふった。この一年、どうにもならない事を、それでもどうにかしようとしどおしだった。三月十一日の前には思いもしなかった人にたいする悪意と毒と愛が、気どった皮膜をやぶってむきだしになり、じぶんがてっきり備えているとばかり信じていたモラルの根っこが、まったく意外にも、しばしばぐらついたという。ひどいうわさを耳にした。かわたれどき、道ばたの死者たちにおおいかぶさるいくつかの影。死者の胸の内ポケットに現金がないか、からだをまさぐっている影。硬直した骸(むくろ)の指から無理やり指輪をはずしている男もいた。生きた影と死んだ影がからまりあう。〈この街の者じゃない。そういえば関西ナンバーの車が何台かきていたし、よそ者の仕業だろう〉と皆でひそひそ話し、納得しようとしたという。
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 大震災発生後、外部から本格的支援がとどくまでは、人というものの美質が花ひらくと同時に、およそ常識ではありえないだろうこと、どうにも辻褄のあわないこともつづいた。臨時の避難所となった学校では人びとはもちよった食べ物をみんなで欠けらまで分けあった。すき間のないほど大勢の雑魚寝でも、女性や赤ん坊、老人は大切にされ、慎みがたもたれた。わたしの友人は子どもを津波にうばわれた衝撃で半狂乱となり、失語症におちいってしまった母親の背を夜っぴてさすった。疲労と不安と緊張の連続でみな心の堤防は決壊していた。だれかが酒をもちこみ、ときならぬ酒盛りがはじまったりした。四千人も亡くなるか行方不明になった街の男たちが、ほんの数人にせよ、なぜか大声ではしゃぎ、ぐびぐびと呑みかつ高笑いした。友人によれば、まるで芋煮会かお花見のようだったという。これも「どうにもならない事を、どうにかするため」の変調だったのか。
 炊きだしは当初、人数分の胃袋を満たしはしなかった。人びとはわずかの食べ物に殺到した。配食係があるときいらだって大声をだした。「食いたければ、並べ!」その言いぐさに、友人は生れてはじめて〈殺意にちかい怒り〉を覚えて、舌が口いっぱいにふくらんだという。感情が心の堰堤(えんてい)をつきやぶったのはそのときだけではない。ルース駐日米大使夫妻が米太平洋司令官とともに石巻の避難所を訪れた映像を見たときも、気持ちが一気に溢水した。大使らは床にひざまずき、老人や子どもたちを、これまでに避難所にきただれよりもやさしく抱擁(ハグ)し頬に接吻した。友人は画像に見入り、手放しで嗚咽した。悦び、悲しみ、無念、おどろき、慚愧(ざんき)、不思議・・・の感情が胸にいくえにもあざなわれて収拾がつかなかったというのだ。
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 ある夜、避難所の外でふるえながらトイレの順番を待っていた。ふと空を見あげたら、目に突き刺さるほど近くに銀色の星々があった。友人の生涯でもっとも美しく、もっともたくさんの星々が、にぎやかに闇夜に降りつづけていた。死者たちの星々。果てない命の生滅・・・。それを見たくて、わたしは石巻に行き、夜を待った。海は嘘のように凪いでいる。わたしの育った海辺の街は、ごっそり抉られて消えていた。昔はあんなに広かった砂浜が猫の額ほどに小さくなっている。電気がもどったせいで空が明るく、死者たちの星々はさほど多くはなかった。でも、瓦礫の原を黒い影の行列がしずしずと動いている気がした。冷たい夜風に乗って切れぎれの声が聞こえてきた。「ミズクダサーイ。ミズナイデスカアー」

『影の行列と目に刺さる星々』 辺見庸
  日本経済新聞 2012-03-11