国策を問う  沖縄と福島の40年 〔後篇〕 (4)虚妄に覆われた時代 辺見庸ロング・インタビュー 沖縄タイムス

(4)虚妄に覆われた時代

 −今から40年前に福島第1原発が営業運転を開始し、沖縄が本土復帰しました。高度成長期もバブルもあった、この40年というのは振り返ってどういう時代だったか。一線の記者、作家として時代を見てきた辺見さんの目にはどう映っていますか。      

 辺見 実は僕が共同通信に入社したのは1970年。その2年後に本土復帰。この40年ということを言われると、ひとことで言うと慚愧に堪えないという思いがありますね。理想のために闘い、何かをつくり上げてきたという思いはまったくないですね。今度の震災こともあるけれど、自分の中ではどっちかというと崩壊感覚の方が強い。僕も学生のときにアメリカの原子力潜水艦反対のデモをやったり、横須賀へ行って空母の母港化反対とかのデモをやったり、警察に殴られたりして生きてきたわけなんだけれども、今なんか大歓迎でしょう。何という変わりようでしょうか。この40年というのは何か大事なものが実ってきたわけではなく、銭カネと引き換えに一番大事なもの、魂を売りわたしてきたという印象の方が強いですね。
 僕にすれば沖縄の問題は外在する問題じゃなくて、日本という国の思想の成り立ちの上で決定的に重要なテーマなのです。この40年の虚妄と荒み。それを諸手を挙げて喜ぶという気持ちには全然なれない。

 −安保も原発も背景には、米国との関係をうまくやって、経済さえ順調であればいいという主張にみんなが乗っ掛って思考停止してきた面があったように感じます。     

 辺見 安保だけじゃない、経済もみんなアメリカ頼み。そこから脱却して何か新しい社会、コミュニティーのありようってないのか、思想家も文芸をやる人間も見いだせなかった。それを敗北感として僕はもちますね。1980年代前半にわたしは米国に研修留学して痛感したのは、米国には、せいぜいよくても、爆弾を落とす側の浅い。“良心”しかないということ。爆弾を落とされた側の地獄を知らない。それで僕は志願してハノイの特派員になりました。爆弾を落とされた側に立ってみて、世界像がやっと生々しく立ち上がった気がする。
 9条とか憲法とかが抜け殻のようになってきた。これではまるで偽善者のお飾りです。それでも俺は9条を守るべきだと思う。憲法を俺は現在も有用であると考える。自己身体を入れこんでそう思う。同時に、有用なものを実行することができなかったのはなぜなのかと問う。お題目だけ唱えて、お国言葉で朗読してみたり歌ったりするだけで、闘わずに憲法を形骸化したのは誰の責任なのだ。復帰40周年といっても、沖縄の植民地的実態が変わっていないのはなぜなのだ、と問わなければならない。
 ワイマール憲法下のドイツがナチスの台頭を許し、世界最先端と言われた民主主義が世界で最悪の独裁者を育ててしまった経緯には現在でも学ぶべき点があります。

 沖縄密約事件を、辺見さんはどのように見てこられましたか。

 辺見 密約情報を得た西山太吉さんは権力と権力の意を体した「言論テロリズム」に撃たれたのです。あれ以降、ジャーナリズムは萎縮してしまい国家機密にかかわるスクープが政府の思惑どおりに激減した。新聞は西山さんを守りきれなかった、というより守らなかった。メディアつていうのは所詮そんなものだと言えば言える。でもその中でも、やっぱり西山さん的な「例外」というのが結局、歴史の暗部、真相を見せてくれたわけだから、権力の隠蔽工作に立ち向かう試みを棄ててはいけない。国家権力とジャーナリズムは絶対に永遠に折り合えないものです。折り合ってはならない。国家機密はスッパ抜くか隠されるか、スクープするか隠蔽されるか、です。記者の生命線はそこにある。いまは権力とメディアが握手するばかりじやないですか。記者は徒党を組むな、例外をやれ、と僕は思う。ケチョンケチョンにやられるまで例外をやって、10年後、20年後にああ、あれはこんなに大きな意味があったのかと。というふうな取材をしたら、その段階ではくそみそに言われるよ。会社からも余計なことするなって言われる。誰もかばいはしない。ますますそういう時代になってきている。でも今ぐらい特ダネが転かっている時代はないと思うよ。権力がいい気になって調子にのっており、わきが甘くなっているからね。